青い海と空のみちのく八戸から・波動はるかに 第10回80―80(エイティ-エイティ)

 80―80とは、またしても野球の話題と思われたかもしれないが、2025年の大谷選手を占った数字ではなく、当年は先の戦争敗戦からちょうど80年に当たり、併せて私が生を受けて同じく80年という意味である。私たちは誰しもが生を受ける“時と所”を自らによって選べないけれども、一方、その時間・空間に否応なく縛りつけられ、その中に生きていることも確かなことである。ダブル80は、私にとってはさすがに重たい数字で、過ぎ来してきた時を振り返ることが増えてきた。過去を顧みるということは、未来を展開する思考が緩くなり貧弱なものになった証左で、才能の枯渇、可能性の限りの見えてきた表れではある。さはあれ、己の生きてきた場・心情を俯瞰し、なぞり返すことで浮き上がってくるものを掬うのも多少の意味はあるだろう。

 1945年8月に戦争終結、その9ヵ月前1944年11月に私は生まれた。世代論で屡々区分けされるところの戦前・戦中・戦後のどの派に組み込むことが適当かどうかわからないところがある。勿論、直接に戦場に立ったこともなく空から落ちる爆弾から逃げ回ったこともないわけなので戦後派に区分けされるのだろうが少し違和感もある。「我らはさしずめ“戦腹中派”だ」などと酔言を遊んだ若い頃もあった。1944年、まさに戦争真最中にのんきに母親の腹中に居た世代なわけではある。その処は日本・東海の山岳地帯が私の生のスタートである。

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